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1 街道の商家

 Tさんは、ある宿場の資料館で働いている。

 東海道沿いの町では現存する古い建物を資料館や観光案内所、休憩所、地域のイベントスペース等として利用する事がよくある。

 Tさんが勤める資料館もそういった場所の一つで、明治時代に建てられた古い商家を利用したものだ。

 

 その資料館は、いつも二人一組で勤務にあたる。

 Tさんが勤めだして間もない頃の事。資料館につくとその日一緒に勤務にあたる先輩の女性スタッフはまだ来ていなかった。先輩はいつも勤務時間ギリギリにやってくる。

 まだ時間は十分あるが、Tさんは一人開館の準備を始めた。電気をつけ、窓を開けて空気を入れ替える。そうして各展示室をまわっていると

「おはよう。」

 玄関で声がした。どうやら先輩がやってきたようだ。

「あ、おはようございます。」

 挨拶を返しながら玄関に目をやった。だが誰もいない。

 玄関から顔を出し前庭を見てみたがそこにも人影はない。

 気のせいだろうか。いや、はっきりと聞こえた。明るい女性の声だった。空耳とは思えない。きっと先輩が忘れ物か何かをして急いで引き返したのだろう。そう思い準備を進めた。

 結局先輩は、普段通りギリギリの時間にやってきた。

「おはよう。あなたいつも早いわねぇ。」

「おはようございます。先輩は何か忘れ物ですか?」

「え、何が?」

「少し前、玄関の所まで来て戻っていったじゃないですか。」

「何の話?私は今来たところだけど。」

 では、あの声は一体誰だったのだろう。さっきの出来事を説明すると、先輩は頷きながら

「そう。女の人の声だったのね。なるほどねぇ。きっとあなた気に入られてるのねぇ。」

 と、こんな話を聞かせてくれた。

 

 

 お客さんにパンフレットを渡し、横について展示物や地域の歴史を説明しながら館内を一通りまわりきる頃。「ところで、あの女の方はどこに行ったんですか?」と聞かれた事がある。

 同僚スタッフの事かと思い聞き返すが、「そうではなく和服を着た女の方です。」と言われた。そのようなスタッフはいない。

 資料館に入る前に通りから建物を眺めていると、二階の窓際に女の人が座っているのが見えたらしい。和服姿の女性で、笑顔で手を振ってくれている。それが『どうぞどうぞ、お気軽に観て行ってくださいね。』といった雰囲気だったので、スタッフだと思ったのだそうだ。

 その女性が現れたのはその時だけではない。まれに同じものを見たというお客さんがやってくる。

 

 

「多分それって、明治時代にここがまだ商売してた頃の女将さんだと思うのよね。ここの商売って実質女将さんが切り盛りしてたし。建物もかなり傷んでたけど、出来るだけ元の材料使って修繕したでしょ。今でも居るんじゃないかな。

 でさ、あなた真面目だから。誰もいない部屋に入る時でも『失礼します』って言ってから入ってるでしょ。だから気に入られたのよ。この子は礼儀正しい子だなぁって。」

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