9 庄野 (三重県鈴鹿市)
2018/04/23 17日目
・庄野宿 本陣跡
歩行距離 27.74km
累計 406.11km
2018/04/24 18日目
・能褒野(のぼの)神社 日本武尊御墓
建部神社で見た、あのかっこいいヤマトタケルさんのお墓。
明治12年に日本武尊の墓だと認められた後に神社が作られた。
一枚目の写真の向かい側の坂道を下っていくと御墓に着く。
『お墓→』の看板が目印。
・女人堤防碑
この辺りは水害に悩まされていたが、堤防を作ることが藩に禁じられていた。
もし、堤防を作ってしまうと打ち首…しかし水害で生活はどんどん困窮していく。
村を守るため、女性二百名が闇に紛れて六年の歳月をかけ堤防を築いた。
すごい話だな…
すごい話だが、こっそり造るといっても堤防が段々伸びていくわけで。
六年もの間、藩にバレないわけがないとも思う。
そうだとしたら、きっと分かっていて完成するまであえて見逃したんだろうな。
ここで18日目終了。
歩行距離 24.29km
累計 430.40km
2018/04/25 19日目
・庄野宿資料館
庄野は東海道宿場の中でも最後にできた宿場。
で、お隣の石薬師とは3km程度しか離れていない。
何故ここに宿場を作ったんだろう?と疑問に思ったので、資料館の方に聞いてみたところ、面白い説を聞けました。
華厳宗に善財童子が53人の指導者を訪ね最後に普賢菩薩に出会い悟りを開く話があるそうです。東海道も、京都を普賢菩薩のいる浄土と見立てて、53の宿場で区切りたかった。いわば、数合わせで宿場が作られたという説。
私はその道を逆に辿り、53の怪談をまとめたわけですね…
庄野での怪談蒐集クリア
・古庄野
庄野の集落は元々現在の位置ではなく鈴鹿川の対岸にあったが、宿場を作るため集落が移動した。
元の場所は古庄野と呼ばれ、今も常夜灯と山神があります。
庄野と石薬師は、百姓が多く宿場と言うよりもほぼ農村。
小さな宿場を二つあわせて一つの宿場のように使われていたのかも。